紅葉の妙義山 縦走コース
以前から登りたかったジャンダルムなどと並んで日本屈指の難コースと言われる妙義山縦走の核心部分である鷹返し-二段ルンゼに、ようやく一緒に行ってくれるTさんがみつかり登ることができました。二人ともこのコースは初めてのため、ネットなどの情報で「鷹返しでは長い垂直の鎖場が続き手の筋力がなくなって落下死するケースが多い」ということからセルフビレイの他、最悪のケースを想定して人口登攀も可能なあぶみや、ザイル、懸垂下降器、ユマーリングや引き上げにも使えるストッパ付プーリーなどの登攀用具も準備し、いつもの山行の倍以上の荷物を背負って臨みましたが、実際に登ってみると想定よりはずっと簡単で、結局はこれらの登攀用具には出番がなく、歩荷訓練となりました。とは言えこのコースには有名な鷹返し、二段ルンゼ以外にも他の山よりは厳しい鎖場が数か所あり、墜落死の危険を伴うコースです。先日大学の同窓会でも赤色立体地図を開発した会社に勤めていた旧友と山の話になり「こんど妙義縦に行く」と話したら「注意してね、あそこで会社の後輩の若い人が落ちて亡くなっている」と話してくれました。そのため中級者や腕力がない人にはお薦めできません。上級者や腕力がある方にとっては、鷹返しの途中から垂直に近い壁の下に広がる紅葉の素晴らしい風景を眺められて大変スリリングで魅力あるコースです。ハーネスとセルフビレイ、クマ対策にもなるヘルメットは必携です。
7日は5:30頃に民宿を出発して、途中のコンビニで朝食を摂ってから6:30ころ妙義公園第一駐車場到着。ちょうど朝日が上って朝焼けがきれいでした。

その後の山行行程は以下のとうりです。


ヤマレコの記録 https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-8909795.html
行程:6:44妙義公園第一駐車場-6:54第一石門7:12第二石門-7:24見晴台7:28第三石門-7:29第四石門-7:48天狗の評定-8:28堀切-9:21鷹戻し-10:39東岳-10:54こぶ岩-11:02中ノ岳-12:01第三石門-12:05見晴台-12:24轟岩-12:28妙義公園第一駐車場
石門登山道入口から石門群を通って大砲岩が見える石門広場へ、記念写真を撮ってから紅葉を見ながら中間道分岐点まで、ここからが本当の山登りで縦走路の堀切まで登る。この区間は急峻な沢筋を登るが、落ち葉が深く滑って登りにくい。堀切からは鷹戻しへと縦走路をたどる。鷹戻し直下でハーネスなどの装備を装着し、いよいよ登攀開始。

鎖場はけっこう足場もあり、また途中で止まって休めるところもあるため、意外に楽に登れた。壁の途中で下を見下ろすと眼下に紅葉が見られ、その奥には最高峰の白雲山相馬岳の岩山がそびえ、スリリングな絶景が楽しめた。鷹戻しを登りきると、しばらく尾根を歩いて次は二段ルンゼを下る。ここも想定していたよりも足がかりがずっと多く、懸垂下降の必要はなくザイルは出さずに鎖もほとんど使わずに岩を楽しみながら下ることができます。




その後、いくつかの鎖場を含む尾根を歩いて東岳へ、最後は中ノ岳の右側へ下る巻き道を下り中ノ岳と金洞山の中間のコルへ、ここで縦走路から離れて下山開始。落ち葉で下山路が隠れてルートファインディングが難しい箇所があった。下山途中の見晴台からの紅葉の景色と歩いてきた縦走路がある東岳から中ノ岳へと続く岩壁の景観も感慨深いものであった。12:28妙義公園第一駐車場へ到着。その後、道の駅みょうぎで女性陣をピックアップして妙義温泉「もみじの湯」で汗を流して帰路に就き、柏には4時頃に到着した。
参加者の感想(T)
今年最後のチャレンジ山行でした。連続する鎖場、切れ落ちた稜線、高度感 による心理的プレッシャー・・日本を代表する山岳ルートであると実感しました。それだけに、中之岳神社へ下山した時は大きな達成感がありました。
妙義山の地質
妙義山の地質図を示します。

妙義山の地質は、約600万~500万年前に始まった火山活動で形成された安山岩質の溶岩や火山灰などから構成されています。その後のカルデラ形成(陥没)と、長年にわたる浸食作用によって、侵食に強い部分と弱い部分の差が生まれ、現在の特徴的な奇岩が形作られました。硬い岩脈(火山岩尖)が残り、周囲の浸食されやすい凝灰角礫岩などが削られたことで、切り立った崖や痩せ尾根が生じたと考えられています。そのため妙義山は、大分県の耶馬渓と香川県の寒霞渓と並んで「日本三大奇景」の一つに数えられます。
紅葉の大多摩ウオーキングトレイル
日程:2025.11.29(土)
参加者20名
JR青梅線古里駅に8:52着の電車で着き、9:10集合の予定が2名ほど遅れたため、9:32出発。9:50寸庭橋を渡りトレイルに入る。以下に行程図と標高図を示す。

ヤマレコの記録 https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-8971244.html
行程:古里駅 9:32-9:50 小丹波駐車場観光トイレ 9:54 寸庭橋 9:55-10:04 明王ノ滝 10:05-10:33 松の木尾根の展望台 10:34-10:42 坂下観光用公衆トイレ 10:47-10:55 雲仙橋 10:57-11:00 鳩ノ巣駅 11:05-11:17 鳩ノ巣小橋(昼食) 12:01-12:33 白丸ダム魚道管理棟-13:18 数馬峡橋 13:27 12:58 白丸南岸遊歩道入口12:59-13:18 数馬峡遊歩道入口 13:27-13:47 奥多摩町営氷川有料駐車場-13:53 奥多摩駅
明王ノ滝を越え、小川を渡ると松の木尾根の登りが始まる。展望台で小休止してから下り始め、坂下公衆トイレでトイレ休憩。雲仙橋で多摩川の北側へ渡り、双竜の滝を見てから鳩ノ巣へ下り、ここで昼食を摂る。江戸時代にこの辺りに木材運搬の飯場小屋が建っており、二羽の鳩が巣を営んでいて、飯場の人々がこれを愛鳥として護したために鳩ノ巣渓谷と名が付いたそうである。この上の神社からの渓谷の景色は紅葉もあって絶景であった。



昼食後、記念撮影をしてから12時頃出発、多摩川渓谷沿いに白丸ダムまで歩く、白丸ダムでは施設の点検や各種工事をおこなうために、ダムの水を約5-10年毎に抜き水位を下げる。今回歩いたトレイルのすぐ下に白丸鉱山の跡がある。ここは多摩石と東京石という二つの新鉱物が発見されたことで鉱物マニアの間では世界的に有名で、抜水時には鉱山の露頭が姿を表すために、日本中から研究者やマニアが集まり、固いチャートの露頭を相手に「赤壁の闘い*」が展開される。私も厳冬の2024年1月25日に訪れて東京石と多摩石様鉱物を採集することができた。今回はダム湖は水が一杯で紅葉が映えて美しかった。

*東大電子顕微鏡室 https://mdcl.issp.u-tokyo.ac.jp/denken/?page_id=17
2025 フンザ&ナンガパルバット周遊 トレッキング 5
7月1日タルシン村のホテルからはチョンラ主峰6,830m、西峰6,455m、南峰6,448mなどの山々が見える。Yさんは相変わらず高熱で薬で体温を下げている状態のため、もう一晩このホテルに滞在することとなり、中山さんとアリさんがサポートに入る。中山さんの見たてでは肺炎、帰国後の病院での検査でこの見たてが正しかったことが証明された。残りの全員は朝食後7:30ホテルを発ち、立ち乗りのジープで出発。立ち乗りのために村の中を走る際には木の枝を避けながらの乗車である。激しく揺れるために手すりを強く握ってなくてはならない。8時半ころジープの終点のルパールのキャンプ地に着く。右の写真のように、ここからはナンガパルバット 8,126mが稜線の向こうに初めて望めた。

行程図と標高図を示す。ルパールのキャンプ地からは緩やかな登り坂を150m程登って9:50ころに下中央の写真のヘルリヒコッファーBC(3,550m)に到着する。


ここからは左の写真のようにナンガパルバット主峰8,126mの他、南峰8,042m、北東峰7,910m、南東峰7,530m、ラキオット峰7,074mが望めた。右写真のようにこのBCもラカポシBCと同様に縦に長く、中央に小川が流れている平原で、氷河とはモレーンで隔てられている。

昼食後モレーンの丘を越えてルパール氷河までハイキングへ行った。氷河壁にはマメ科イワオウギ属の赤い花がたくさん咲いていてナンガパルバットのルパール壁を背景に美しい。ルパール氷河は表面に土砂が堆積したDebris covered Glacier いわゆるD型氷河であった。

7月2日 この日はヘルリヒコッファーBCの凹地をさらに奥まで登って行く。この凹地の両側にはリス科に属する大型のげっ歯類マーモットがたくさん住んでいて、近づくと見張りのマーモットがかん高い警戒音を発する。3,820m付近の氷河壁の上に立つとルパール壁がすぐ目の前に見える。私は少し歩き足りなかったので一人で東側のガレ場を登る。4,000mまでは登りたかったが3,900m付近で急に雨が降り出したので諦めて下山する。

この辺りにはサクラソウ科のアンドロサケ・ビローサや、ヒマラヤトラノオ、ゲラニウム・ヒマライエンセなどの高山植物が咲いていて美しかった。

ナンガパルバット周辺の地質図を見ると、ナンガパルバットの山体全体がHigh Himalayaの変成岩となっていて、実際はほとんど片麻岩から構成されている。これらの片麻岩は4000万年から4500万年前にインド亜大陸がユーラシア大陸に衝突した際の地殻変動によって、かつてのテチス海堆積物が地下20,000m付近の高温高圧下で変成されてできたと考えられています。この衝突による隆起は現在も続いており、ヒマラヤは年間2-3mm上昇していることが確認されています。


ベースキャンプへ戻ると、ホテルで1日休養していたYさんが中山さんとアリさんに連れられて馬で登って来られていた。最後に高度差世界一4,500mのルパール壁の絶景を一緒に見ることができて幸いであった。
ルパール壁では昼夜を問わず毎日何回もドッドーッという轟音とともに雪崩やセラックの崩壊が発生する。1970年にルパール壁の初登攀を達成したラインホルト・メスナーとギュンター・メスナーの兄弟も下山中に雪崩でギュンターを失っている。まさに「人喰い山」と恐れられたとおりである。
7月3日 早朝、朝日に照らされたナンガパルバットが美しい。テントを撤収した後、最後にルパール壁をバックに記念写真を撮ってから、アリさんが連れてきたYさん用の馬に乗せてもらって記念写真を撮り、7時頃に下山を始める。

9時頃にタルシン村に着き、ジープからマイクロバスに乗り換え、アストール、ライコット橋を経由して16:38に宿泊地チラスのシャングリラ・チラス・ホテルに着く。チラスは炎天下では46度という猛暑であった。
7月4日ホテルを8:10に出発。チラスの仏教岩絵を見てから、バブサール峠4,173mを越えて13時頃に避暑地ナランのNaran Retreat Hotel到着。ホテルで昼食後ナランのバザールを歩いて見学し、買い物。バブサール峠周辺は蜂蜜の産地らしく、お安く土産に購入。
7月5日 ホテルを7:43に出発。14:30頃タキシラ遺跡を見学。ガンダーラ美術で有名なタキシラ博物館は正月にあたるムハッラムのために残念ながら休館で見れなかった。16:45サウジアラビアのファイサル国王の提案と援助によって1976年から1986年にかけて建設された世界有数の大規模なモスク、ファイサル・モスクを見学。PCCスーパーマーケットで土産を買ってから、荷物をスーツケースに移す。18時頃タンドリーレストランで夕

食。19:30パキスタンの人々の団結を象徴するために建設されたパキスタンモニュメントを見学。花びら型の構造は、ムガル建築の伝統的なムカルナ(イスラム建築様式)に由来している。その後、空港へ向かい20:20チェックイン。23:20発のTG676にて出発。
7月6日 バンコクでTG676へ乗り換え15:45成田空港着。
最後に常に参加者全員に気を配りお世話いただいたリーダーの中山さん、現地ガイドのイッサさん、サブガイドのアリさん、コックやポーターの皆さん、そして参加者の皆さん、本当に楽しく素晴らしい山旅をありがとうございました。
2025 フンザ&ナンガパルバット周遊 トレッキング 4
6月28日 朝食後8:17ホテル出発、9:10インダス川とギルギット川の合流地点の
「三大山脈ジャンクション」の展望台で休憩。この2つの川は地質学的な境界を成し、南のナンガパルバットを有するヒマラヤ山脈、インダス川とギルギット川の間に位置するカラコルム山脈、その西奥に位置するヒンドゥークシュ山脈の合流地点にあたります。展望台にはこの三大山脈を表すモニュメントが設置されています。

10:40ライコット橋に到着。ここにはジープに乗り換えタトゥ村まで行くため、多くのジープが駐車している。不思議なことに多くのデコトラも駐車していた。パキスタンではデコトラを多く見かけた。1980年代後半から、パキスタン政府と進取的な個人が海外でトラックアートの展覧会を組織し始め、2000 年代初頭までに、このトラックアートはパキスタンの活気に満ちた「民俗芸術」としての地位を確立しました。

ジープでのタトゥ村フェアリー・ポイント(2,666m)までの断崖絶壁に作られた道路は、少し運転を誤れば谷底まで真っ逆さまという道で大変スリリングなドライブでした。13時にフェアリー・ポイント到着。

タトゥ村のFairy point hotelで昼食後、目的地のフェアリー・メドウへ向かって歩き始める。


18時ころ「妖精たちの牧草地」という名のように美しいフェアリー・メドウ(3,300m)へ到着。アングロ・ヌビアン種のヤギが迎えてくれ、草地ではパキスタンの女学生たちがライコット氷河を背景に踊っていた。


泊まった山小屋は前庭からナンガパルバットをはじめ6,000m~7,000mの高峰群とライコット氷河の絶景が楽しめるライコット・サライ。泊まった部屋のすぐ前で撮った夕焼けに染まるナンガパルバットとライコット氷河の写真を示す。夕食はパキスタンのカレーであまり辛くなく美味しくいただけた。夜には降るような天の川が見えた。中山さんによる星空とナンガパルバットの写真です。

夕食時に翌日の予定について話し合う。フェアリー・メドウ周辺には三か所のナンガパルバットの絶景ポイントがあるという。それらは①森を抜けた先にある氷河壁の上、②フェアリー・メドーズ湖畔のFairy Meadows Cottages、③氷河に沿って登っていったBeyal Campの先にある標高3,667mの尾根上のビューポイント。現地ガイドのイッサさんによると、これまで連れて行った人たちの評価はこの番号順とのこと。③は遠くて希望者のみということで迷っていたが、この言葉で迷わず近場の①と②を選択した。結局③希望者は最も若く元気があるFさん一人だけで、中山さんが連れて行くこととなった。
6月29日 早朝に起き出し、朝日に照らされるナンガパルバットを撮ってからフェアリー・メドウ奥のリフレクションが撮れる池へ一人で写真を撮りに行く。ちょうど馬が草をはんでいた。

ライコット・サライの食堂には天才クライマーと呼ばれ、1953年、「魔の山」と呼ばれたナンガパルバットの初登頂を無酸素で成し遂げたヘルマン・ブールの写真や、この後訪れるルパール側のBCの名前にもなった1970年の南南東稜からの登攀でラインハルト・メスナーが登頂を成し遂げた際の登山隊長であったヘルリヒコッファーの写真が飾られていた。
朝食後7時過ぎに出発、まずは全員で②フェアリー・メドーズ湖畔のFairy Meadows Cottagesへ行く。ここには、かつては下の左の写真のようにナンガパルバットのリフレクションが美しい湖があってGoogleマップにはまだ載っているが、現在では中央の写真のように湖はなくなり草原となっている。ガイドのイッサさんによると、この湖はFairy Meadows Cottagesのオーナーが小川をせき止めて作ったもので、ナンガパルバットを背景としたその美しい景観から観光客を引き寄せたため、フェアリー・メドウの他の山小屋のオーナー達が怒って堰を壊してしまったという。こんなことでフェアリー・メドウの最も美しい景観の一つが損なわれてしまったことは悲しいことである。この近くの林の中にはこのコテージのオーナーが作ったという水力発電施設(右の写真)があった。なんと利発なオーナーであろうか。

②で記念撮影をした後、中山さんとF氏は③の3,667mのビューポイントへ出発し、残り全員は森林を散策してから①の森を抜けた先にある氷河壁上のビューポイントへ向かう。ここからはライコット氷河とナンガパルバットが望める。森林にはミヤマリンドウの仲間やヒマラヤ原産の野生イチゴの一種であるフラガリア・ヌビコラ、氷河壁にはマメ科のイワオウギ属の植物アルパイン・スウィートベッチが赤い花を咲かせていた。ここからフェアリー・メドーズに下る途中、Oさんが再び体調不良を訴えたため、頻繁に休憩をとりながらライコット・サライまでたどり着いた。

中山さんとF氏は、結局3,667mのビューポイントの先の4,757mのナンガパルバットBCまで登ったそうで、途中のお花畑がきれいだったそうである。同じ日に登ってきてライコット・サライに泊まっていた世界各地のインターナショナルスクールで教えていて現在ブラジルに住んでいるという米国ミネソタ州出身の若い女性は、さらに先の5,300mのC1まで登って来たそうである。実にタフな女性である。Oさんが再び体調不良だと聞いて、この女性の現地ガイドが夜にフェアリー・メドーズの医者を呼んでくれた。しかしながら過労という以外は特に新しい情報は得られなかった。
6月30日 朝食後、今度は全員でフェアリー・メドウ奥のリフレクションが撮れる池へ写真を撮りに行く。7時半過ぎに下山開始。歩き出して間もなく今度はベテランのYさんの足が止まる。49度の高熱のため、解熱剤を服用させ暫く休んででから馬で下山することになり、中山さんとサブガイドのアリさんが付き添う。ほかの全員は往路を10:10にフェアリー・ポイントまで下り、四輪駆動車でライコット橋まで戻る。

その後、マイクロバスに乗り換えてアストール経由でタルシン村(2,900m) の宿泊地 Nanga Parbat Tourist Cottage へ。私はこれまでずっとリーダーの中山さんと同室でしたが、この夜からはYさんの看病のために、中山さんがYさんと同室となることとなる。
2025 フンザ&ナンガパルバット周遊 トレッキング 3
6月25日 これから三日間ラカポシB.C.へのハイキングとなるため、不要な荷物をホテルにデポして、朝食後6:45出発。ミナピン村ではアプリコットの実が実っていた。ミナピン氷河からの濁流が流れるミナピン川の橋を渡ると急登が始まる。少し登るとウルタル(7,388m)が見えてくる..........



炎天下のため少し夏バテ気味。この後、樹林帯に入り一息つく。樹林帯ではエーデルワイスやキキョウ科ツルニンジン属の高山植物などが見られた。最後の急登を抜け、11時半ころ草地のキャンプ地ハパクン(2,700m)に到着する。昼食時にフンザで買ったチェリーの残りを食べたが、キャンプ地のあまりきれいでない小川の水に浸して冷やしたのが悪かったらしく、この後、ほぼ全員が細菌感染からひどい下痢に悩まされる事となる。
キャンプ地の対岸の山には地すべり地帯があり、たびたび轟音と共に崩れていた。

6月26日 朝食後6時半過ぎに出発、急登を進むとチョウノスケソウやフウロソウ属のゲラニウム、ヒマラヤトラノオ、キバナオウギ、ワイルドタイム、ロサペンデュリナ(アルパインローズ)などの高山植物が美しい。

氷河リッジの上の絶景ポイントに出ると、雄大なミナピン氷河が目の前に広がる。氷河の先にはディラン 7,266mやラカポシ 7,788mが聳え立つ。

ビュウポイントから氷河の絶景を左に見ながら崖沿いの道を進み、9時半ころに草地のキャンプ地ラカポシ・ベースキャンプ(3,450m、別名タガファリ)に到着する。このキャンプ地は写真に示すように縦に長く、中央に小川が流れていて、氷河とはモレーンで隔てられている。キャンプ地に着くとポーター達が既に調理テント、食事テント、トイレテントの設営を始めていた。トイレは地面に穴を掘って足場の石を置いただけのものである。

キャンプ地の草原に達するとすぐに右手にズリが見える。後から訪れると上方から若者が下ってきた。彼らはマウンテンハーブを採りに来たこのキャンプ地を所有するミナピン村の青年たちで、彼らによると、ここはNephrite軟玉を採掘する鉱山だそうである。ここでは軟玉中のガーネット、Fucksiteクロム雲母、Chloritoid 硬緑泥石などが採集できた。こことは別にキャンプ地の上方数百mには水晶を掘っているペグマタイト鉱山がある。

昼食の後、キャンプ地東側のモレーンの丘を越えるディランBC(3650m)へと続くトレイルをたどりミナピン氷河までハイキングにでかける。氷河リッジではピレオギクの一種や、ホッキョクヤナギ、キバナオウギ、ヤナギランなどの高山植物が見られた。

ミナピン氷河では氷河から聳え立つディラン7,266mやラカポシ7,788mの雄姿を眺め、大きく口を開けたクレパスをのぞき込んだりして楽しめた。

ベースキャンプに戻ると、Oさんが過労と脱水症のためか悪寒を訴え、応答も朦朧としてきたため、羽毛服を着せて暖かくし、リーダーの中山さん、現地ガイドのイッサさん、Kさんが付きっきりでマッサージなどを行い看病にあたる。幸い暫くすると体調も戻ってきた。
6月27日 朝食後7:10出発、往路を4時間かけてミナピン村まで下る。昼食後マイクロバスで北部山岳地帯の中心地ギルギットへ。パキスタンの正月にあたる10日間のムハッラムのために街には多くの人が繰り出し、道路は通行止めや交通規制が行われていた。街でフルーツや薬を買う。現地の下痢の薬Cyrocin(シプロフロキサシン塩酸塩)は、感染性の下痢に効く合成広域抗菌剤で、これを飲んだ人は下痢が改善できたということでした。効かない正露丸を飲み続けた私は下痢が続き、回復したのは結局帰国後1週間後でした。17時ころ街で最高レベルのAvari Xpress Hotelに到着する。
2025 フンザ&ナンガパルバット周遊トレッキング2
6月23日 朝4時に起きて、前日の夕暮れに見たフンザ周辺の山々が朝日に染まる姿が見たくて暗い中をドゥイカルの丘の頂上まで登る。朝日に照らされるラカポシ山7,388m、ディラン7,266m、ウルタール7,388m、スパンティーク7,027m、フンザピーク、レディーフィンガーなどが美しかった。

朝食後7:30にEagle's Nest Hotelを出発、カラコルム・ハイウェイKKHを北上して、中国国境のクンジュラブ峠 4,880mを目指す。KKHはパキスタンと中国政府によって1958年に建設が開始され、20年後の1978年に完成した古のシルクロードに沿って走り、パキスタンと内陸アジアを結ぶ基幹道路である。多くのパキスタン人および中国人労働者が、建設中の地滑りや転落事故で死亡した。全長1,300㎞。周囲には 6,000 ~ 8,000m 級の山々が連なり、壮大な景色が見れる。フンザからクンジュラブ峠までのパキスタン北部ゴジャール地区の地図を示す。

"kinu Kutto" と呼ばれる旧シルクロード は、かつて徒歩道や荷駄馬の道として利用された崖っぷちに沿って見える道路です。

2010年1月4日に、フンザ地区の中心都市カリマーバードの東12キロメートル付近で大規模な地すべりにより天然ダムが発生した。インダス川の支流フンザ川がせき止められてできたこのダム湖、アッタバード湖にKKHが水没してこの付近が暫く通行止めとなった。中国の後押しによって2015年にトンネルなどの復旧工事が完了した。現在では湖周辺にはホテルやレストランが建てられ水上スキーや水上バイクが楽しめる重要な観光資源となっている。

アッタバード湖でトイレ休憩した後には、九時半頃パスーで止まってトポップダン山(6,016m)の雄姿を背景に記念写真を撮る。トポップダン山は大聖堂のように見えるため、カテドラル(大聖堂)とも呼ばれている。別名パスーコーンズともいう。

さらにKKHを北上し、12時過ぎにクンジュラブ峠 4,880mに到着。急に高地に登ったので高山病にならないようにゆっくりと中国国境まで歩いて記念写真。こちらでは日本人はまだ珍しいのか、一緒に写真をと頼まれることが多い。地元のお母さんに頼まれて娘さんとツーショット。

1時ころクンジュラブ峠から下り始める。昨年のツアーではアイベックスも見られたそうだが、今年は残念ながらお目に書かれなかった。3時前に途中の街スストで昼食を撮る。この辺は中国人が多く来訪する場所なので期待してチャーハンを頼むが、一口食べてもう結構というお味であった。その夜はカテドラルが目の前にすぐ見えるPassu Ambassador Hotelに泊まる。すぐ近くの池でのカテドラルのリフレクションが素晴らしかった。

翌朝は早朝に朝日に照らされるカテドラルを見てから朝食。前述の地図に示すように、この辺りのKKHの西側には北からバツーラ氷河、パスー氷河、グルキン氷河という三つの氷河が並行して流れている。この日は、真ん中のパスー氷河を見ながら南側を登る。

専用車のミニバスでボリス・レイクの脇を通ってWhite Glacier View Point まで行き、8:50歩き始める。最初は氷河壁の脇を登るが、その後は氷河から離れた凹地を登る。この辺りにはピンクのロサペンデュリナ(アルパインローズ)が多く咲いていて美しい。10:20頃に再び3,188mの氷河壁の上に到達する。ここからはパスーピーク7478mがよく見える。

午後一時前には下山して、ボリス・レイクの下の標高2,600m地点で、昨年K2で亡くなった平出和也氏と中島健郎氏が2017年夏に北東壁未踏ルートを登攀してピオレドール賞を受賞されたシスパーレ7,611mの美しい姿をバックに記念写真を撮ってから、アッタバード湖脇のFAMREE Resort で昼食を摂る。このレストランの料理長はパキスタンの大使館でも働いたことのある有名コックで、ここの料理は間違いなく今回の旅行で最高であった。

昼食後、アリアバードの街でドライフルーツなどの土産を買う。フンザ名産のドライアプリコットの値段は1kgあたり約 PKR 1,000(500円)と日本の1/5から1/10と格段に安い。またマンゴー、チェリー、メロン、スイカなどの生フルーツも安くて美味しい。アリアバードからは最初の写真に示すようにラカポシ山7788mの山体全体が望めた。多くの山々が連なるパキスタンでは近くの山が邪魔したり、山頂が雲に隠れたりして、このような事は稀である。その後、KKHのタショット対岸付近に停車して道路わきの片麻岩から分離したガーネットの結晶を拾ってからミナピン村へ向かう。17:30宿泊地のAlpine Resort Minapin到着。このホテルにはミネラルショップが併設されていて、これから向かうラカポシBCやスカルドゥの水晶、アリバードの上部3,040mの急斜面にあるルビー鉱山のルビー、Haramoshのトルマリンなどを比較的安価に購入できた。

一部、中山さんの写真も使わせて頂きました。
2025 フンザ&ナンガパルバット周遊 トレッキング 1
一昨年、県連のエベレスト街道トレッキングでお世話になったワンダーズアドベンチャー社長、中山岳史氏が主催されるフンザ&ナンガパルバット周遊トレッキングに参加しましたので、数回に分けて報告します。参加者は男性4名、女性2名の計6名。メンバーは東葛山の会からは私とOさんの二人、Oさんの友人で柏市のKさん、県連のエベレスト街道トレッキングでご一緒した千葉市のYさんと東京のNさん、それから岡山県からの参加のFさんで、平均年齢は71才とシルバー隊でした。Fさんはツアー中に68才になったばかりの最年少ながら若い時からモンブラン、アコンカグア、キリマンジャロなど世界中の山々を登ってこられたベテランでした。
6月20日 朝9時に成田空港に集合してTG643で12:00に出発し、16:30バンコク着、TG349に乗り換えて19:00出発、22:10イスラマバード空港着、荷物を受け取ってから外に出ると、今回のツアーで世話をしてくれる日本語が堪能な現地ガイドのイッサさんと山岳ツアー会社METT,Mashabrum Expeditions Treks & Toursの社長さんがバラの花束で迎えてくれました。記念写真を撮ってから専用バスで40分程でホテル・ヒルビューへ

6月21日 荷物をスーツケースからダッフルバッグへ移して、朝食後7:50出発、イスラマバード空港からスカルドゥ空港まで飛行機で移動、この便は欠航になることが多いらしいが、その場合はバスで16時間の移動となるために、飛んでくれて感謝。飛行機の右側の窓側だとナンガパルバットが眺望できるが左側だったため残念。飛行時間は1時間弱で着けるスカルドゥ空港は高い山に挟まれたインダス川の谷間にあるために着陸時の狭い谷の中での旋回はスリル満点。スカルドゥはカラコルムへの始点のため、空港にはK2登山隊の写真が掲示してあります。荷物を受け取ってから外に出ると、METTのスカルドゥのスタッフが迎えてくれました。記念写真を撮ってから専用バスでインダス川の渓谷沿いのS-1道路をギルギット方面へ南西へ下って行く。

途中 Midway Hotel Astak で昼食を摂る。ここではガーネットの結晶を含む片麻岩がみられた。またこの周辺ではインダス川に削られた岩壁に白い岩脈があり、それに沿って多くの穴が見られる。ペグマタイトの晶洞中の水晶、トルマリン、アクアマリンなどの鉱物を掘った穴である。後でこの産地の鉱物標本を購入できた。

その後、インダス川がフンザ川と合流する地点まで西方に下って、カラコルムハイウェイに入り今度はフンザ川沿いに北へ上って行く。夕方7時半にラカポシビューポイントで休憩。夜9時頃にフンザのRoomy Daastaan Hotelに到着しました。
6月22日 早朝に起き出してフンザの景観を見るためにホテルの屋上へ、黒と白の鳥カササギが出迎えてくれました。あいにくの曇り空で朝焼けは望めませんでしたが、山々に囲まれた桃源郷フンザの絶景を楽しむことができました。朝食後、フンザの村を散策しながらウルタルⅡ峰で雪崩にあって亡くなったアルプス三大北壁の冬期単独登攀を世界で初めて成功させた登山家・長谷川恒男氏を記念して日本からの寄付で建てられたハセガワ・メモリアル・パブリックスクール訪問。次に水路に沿ってフンザ王国時代の象徴バルチット城まで上る。
ここカリマバードは1974年まで独立国だったフンザ藩王国の王都があった場所です。フンザは自然の恵みを活かした素朴な食事で「長寿の里」としても知られ、お年寄りから子供まで、旅人を温かく迎えてくれる人々の優しさも印象的です。イスラム教スンニ派が大多数を占めるパキスタンにおいて、カリマバードに暮らす人々はイスマイール派を信仰しています。フンザでは、色白で鼻筋が通った、青い目をしたヨーロッパ風の顔立ちの人によく出会います。彼らの起源は、北方からの移民だとされています。ここでは美しい女性達が歩いている姿が見れて、この女性たちはカメラを向けても嫌がりません。バルチット城は藩主の居城だったもので、今は博物館になっています。15世紀にチベット文化の影響を持つバルチスタン地方(スカルドゥ)から王女を迎えたことから、ポタラ宮に似ています。

次にアルチット城を訪問。アルチット城は川向こうのナガール王国からフンザを守るために大理石の岩体の上に築かれた城で、城壁内部は迷路のようになっており、外部からの侵入を防いできました。ここではちょうどチェリー・フェスティバルが開催されていました。

その後、フンザ川の対岸ナガールへ。ナガール王国とフンザ王国は1700年ごろから戦争を繰り返し、19世紀まですべての村人が「要塞村」に暮らしていましたが、その後の人口の増加により渓谷沿いに新しい村が築かれました。ナガール川に沿って渓谷を登ってゆき、奥に位置するホーパル村の先のホーパル・バレー展望所からはディラン峰から落ちるホーパル氷河を望むことができます。

ホーパル・バレー展望所付近の岩石は緑色岩でPyroxeneの斑晶を多く含んでいます。このホーパル・バレーのすぐ西側には、フンザから南に入るSASバレーがあります。この谷を上った所には、ちょうどホーパル村から真西に尾根を越えた反対側のスマヤル渓谷の標高4,470m付近にチュマール・バコル Chumar Bakorという有名な宝石採掘地があります。ディラン7,266mの北側、標高4,700メートルを超える山の西側に露出するこのペグマタイトに到達するには、フンザから4〜5時間のトレッキングが必要です。高地のため、夏の間だけ稼働しています。今回はフンザ周辺のお土産屋さんなどで比較的安価に当地のアクアマリンなどの貴石を購入することができました。

ホーパル・バレー展望所からは、同じ道を戻ってドゥイカルの丘のリゾートホテルEagle's Nest Hotelへ。夕方には、すぐ近くにある展望地イーグルネストからはラカポシ山7,388m、ディラン7,266m、ウルタール7,388m、スパンティーク7,027m、フンザピーク、レディーフィンガーなどの絶景を楽しむことができました。

レディーフィンガーピークは現地語で「ブブリの山頂」を意味するブブリモティン。ウルタル・サール山塊の南西尾根に位置しており、南東のフンザ渓谷の上に急峻に聳えています。ブブリモティンは、近隣の山々の中でも比較的雪の少ない尖峰で、その名の「淑女の指」のように鋭く尖っている美しい岩峰で、6,000mのロッククライミングが楽しめる山でもあります。1995年にクライマーの山野井泰史氏が未踏壁だったビッグウォール南西壁を妙子氏らと3人で初登しています。
この山頂にまつわる興味深い民話があります。バルティスタン出身の魔法使いの王子キサルが冒険の途中、フンザを訪れ、ブブリという名のガ族の王女と結婚したというものです。バルティスタンで最初の妻ランガブルモが誘拐されたという知らせを受けると、キサルはすぐに彼女を救出する準備をしました。彼はブブリをこの山に連れて行き、穀物の入った袋と雌鶏を手渡しました。彼女はいつ戻ってくるのかと尋ねました。キサルはこう言いました。「毎年この鶏に穀物を一粒ずつ与えなさい。袋が空になったら戻ってくる。それまではここにいなさい。」彼は去ったが、ブブリはまだそこで待っていると言われています。