インカ道トレッキング空中都市マチュピチュ遺跡へ
思い出の山旅その1『東葛山の会40周年記念誌:道しるべ』の続きです..猪狩晃一
『インカ道トレッキング空中都市マチュピチュ遺跡へ』
(歩行距離 43km 3泊4日)
インカ帝国の古代首都クスコ(標高3400m)から古代インカ道をテント泊
登山者 8人、ポーター13人、添乗員1人の総勢22人インカの歴史を辿る
マチュピチュへの山旅
【インカ帝国とは】比較的新しく15世紀半から16半世紀(室町時
代)に 隆盛を誇ったが21人(他説170人)のスペイン軍に侵略
され滅亡、『石と焼成レンガの文化に優れていたが』『文字と鉄
(武器等)』を 持たなかったと言う。
【空中都市マチュピチュ遺跡とは】
スペイン軍の侵略を逃れ(他説あり)アンデスの奥地の隠れた断
崖絶壁の頂 に何故このような集落を創ったか!全体が石造りでそ
の石はどこから運ばれ たか!
『その技術は・インフラは・そしてその生活は・文明とは』
“謎・謎・謎”
インカ帝国の首都クスコから直線で北西70km位置し、総面積
5000㎡麓から標高差400mの所に600年前の石の建造物の 遺
跡である。その石造りの技術は現代でも通用する。、創造を絶
すする困難な作業そしてその壮大な風景は見る者を圧倒する。
1911年アメリカの歴史学者(インディジョーンズのモデル)が
発見するまでの 4世紀近く人の目にさらされる事のなかった非
常にまれた幸運な遺跡でもある。
* 崇められていた太陽の神に近い高地あること、王族の避暑地
と言う説もあり,最大750人位までが生活が可能であったよ
うである。また侵略から 逃れるために低い位置(裾野)から
見えない隠れ砦でもある。
* 40段の段々畑で農作物が栽培されたと言われている。飲み水
の水源は当地にあり、作物用には雨水を貯めたようである。
われています。
【ツア名】『インカ道トレッキングとワイナピチュ登頂10日間』
(2007年6月)
【インカ道トレッキングとは】インカ帝国時代に『偉大なる道』
呼ばれ、エクアドルからチリまであったが今回のトレッキング
はクスコから、 峠3つ(4200m、3950m、3670m)を超え、
全長43km、古代の中継地8か所 の遺跡を巡り『ゴールは
秘密の都市マチュピチュ】へ、3泊4日のテント泊 の旅
(1日行程:10km~12km、6時間~8時間、標高差600m
~1200m) 国立公園に指定され、入場料を払っての現地ガ
イドの案内、入場制限もある。
【気候】この地は4月から10月は乾季であり、雨は降らず、好天
が続きが 紫外線が強く、昼は20度位で夜は氷点下まで冷え込
む時もある。空気の澄んだ満天の星空は素晴らく、星も大きく
近くに感じられた。道すがら見たこともない不思議な高山植物
が多く、驚き、楽しませてくれた。
【食事は】:持参した食材を料理班のポーターが料理、我々は上げ
膳据え膳である。
朝食:おかゆ
昼食:コーンスープ、サラダ、たら焼き、ケーキ
夜食:かぼちゃのスープ、サラダ、チキン料理
その他日替わりメニューで肉類、魚料理あり。
上記は1日のメニューの例である、さほどおいしいとは言えなか
ったが腹が 空くのでそれなり食べれました。中には香辛料が強
過ぎ、まったく口に 出来ず、苦しんでいた人もいました。
【ポーターとは・炊事・便所】13人のポーターはテントから食材、
そして登山者の荷物を 運び炊事をしてくれる。便所は穴を掘り、
運んで来た便座を置き、それ用のテントを 張る使用後は埋めて
終わり。サーダー(リーダー)は日本に5年間出稼ぎで建築現場
で働いていたこと
から日本語が堪能でインカの歴史、草花に詳しかった。
【インカ道3泊4日のトレッキングマップ:ルート黄色線】
マチュピチュの全景像(他より引用)
スタート地点クスコ観光(インカ帝国の首都)
公園に出没したコンドル(全長約1m)写真は借り物
【1日目】 いよいよインカ道トレッキングの始まり、クスコから
スタート地点ウルバンバ(2700m)車で移動、そこで案内人
・世話役のホーター達と合流。
(徒歩5時間、10km、標高差400m、テント泊)
アンデス山脈ベロニカ峰(5800m)の眺望とインカ道
民家の風景(2日目からは民家はなかった)
中継地点としての古代インカの遺跡
【2日目】
トレックング中1番きつい『ワルミワニュスカ峠(4200m)』超え、
冠雪のアンデス山脈のワカウィルカ峯(5800m)はやけに近くて
美しい光景に感動。
(徒歩 8時間、11km、標高差登り1200m、下り700m、テント泊)
戯れるアルパカ
手前の人影郡『”さあ””さあ”おひかいなさって』
【高山病】:標高と疲労が加わり65歳の女性が急におしゃべりが
止まらなく、嫌がる仲間にやたら声をかけ、中身の無い
大声の掛け声に皆は逃げるが追い打ちをかける。
ハイになるのも高山病の表情の1つとのことでした。
下山が進むとただちに回復。標高4,200mの峠には留まらず
超えるだけだったのでこの程度で済んだようだ。
【3日目】
第2峠標高3950mを超え、そして第3峠3670mを登る苦しい
行程であったがルンクラカイ遺跡とサヤクマルカの遺跡の見学
が見どころであった。
(徒歩 7時間、11km、累計標高差1200m、テント泊)
インカ帝国の遺跡
我々の荷物を背負ったポーターと石畳みのインカ道そしてアンデス山脈の眺望
テント泊 2・3人用
4日目
ブユバタマルカ遺跡、ウィニャイワイナ遺跡をを見学、いよいよ
マチュピチェ遺跡へ
(徒歩 7時間、10km、下り標高差1500m、4日ぶりの入浴・ホテル泊)
正面玄関の『太陽の門』を通り、麓やルートからも全くその姿を見せなかった
隠れ砦『マチュピチェ遺跡』がいきなりに眼前に広がる。
【物売りの子供】途上国にはつきもので、つづら折れの観光バス道に垂直の
近道の歩道があり、子供たちはその道を先回りをして同じ観
光バスの窓で同じ客に何度もせがむ『押し売りの名所』とな
っいる。
農作物の栽培に利用されたと考えられる段々畑を通ってマチュピチェ遺跡へ
マチュピチェ遺跡全景
正面がワイナピチュ(山)
2階建ての部分が1ケ所だけある
【インカ道の高山植物】
高山植物の宝庫であり、野生のラン科が多いとのこと。日本には
無い異様な形、色合い、種類も多くドキドキの連続。花の名前は
図書館等で調べたが難しかったのであきらめた。
1917年野内与吉は契約移民としてペルーに渡り、地元の国鉄に勤め、
日本で学んだノウハウを活かし、村の発展に貢献、事業にも成功した
と云う。マチュピチュは温泉地としても有名であり、日本人観光客に
人気スポットであるが日本の温泉とは違い野外の温泉プールに水着で
入る様のもの。それでも我々のように登山後の入浴は極楽気分であった。
街の雰囲気が日本の温泉街似ていると云う、言われてみれば、
そんな感じもしないでもなかったかな!
その温泉を最初に造ったのは野内与吉だったとのこと。
2011年の震災の後大玉村はマチュピチュと友好都市を結び村の
ホームページのアクセスは1日2,000件を超える位の盛り上がりがある
と云う
金時山ハイキング
日時 12月3日 メンバー 12名
コース 金時神社入口~金時神社分岐~金時山山頂~長尾山~乙女峠
~乙女峠バス停・・・温泉会館(入浴)
東武鎌ヶ谷に集合したメンバーと船橋駅で合流し新宿へ向かい新しい新宿バスターミナルから小田急の箱根線バスに乗り一路箱根へ。 バスは乙女峠を過ぎて金時神社入口で下車、神社で支度を整え、ハイキングの開始です。
金時神社にて
歩きは快調で山頂までは何事もなく予定通り到着。
山頂に向け快調に歩く
山頂についてみるとハイカーであふれるばかり座るところも無い有様です。それでも何とか場所を確保し昼食タイム。
山頂での昼食タイム
金時娘ならぬ金時ばーちゃんは今日はいるのかなと茶屋を覗いて見ましたが不在。金時ばーちゃんも見ることが出来ずに多少がっかりでした。
茶屋の中も人出大混雑
それでは景色をと周りを見渡して見ると、天気予報では快晴の登山日和でしたが、山頂では雲が出て富士山も頭がすっぽりと隠れて良いところなしでした。 取り敢えず山頂での記念写真を撮りましたが富士山は頭が隠れてちょっと残念!
山頂にて
混み合った山頂を後にして下山を始めると途中で雲が切れて雄大な富士山を見る事ができました。
下山途中で見た富士山
乙女峠まで下山してバスで温泉会館へ、そこで入浴ののち新宿へ向かいました。
本日の山行めでたく終了です。 ”めでたし、めでたし!”
焼岳登山
2016年9月9日~10日 (1泊2日)
メンバー 6名
1日目 新宿駅に11時前に到着出発ホームに行くとメンバーが集まって自由席の乗車口にならんでいた。私も一緒になり予定通り11時に出発。松本駅で14:45分の送迎バスに乗り中の湯温泉に到着。中の湯温泉旅館、山の中の一軒宿ですが奇麗で中々良い旅館です。早速部屋で荷物を置き温泉へ! 浴槽に浸かり正面の景色を見ると右に前穂、中央に奥穂という素晴らしい景観です。
宿の湯ぶねから見る夕暮れの穂高の山々
夕日に映える穂高の山々を見ながらゆったりとした時間をすごす。夕食を採り明日の準備をして就寝。
2日目 朝食をとり、もう一人のメンバ^-と合流、7:30に中の湯温泉を出発する天気は快晴、宿のわきの道をゆくとすぐに中の湯新道の登山口にでる。 樹林帯をゆっくり登り黙々と高度を稼いでいく。2時間弱で下堀沢との出合にでる。(9:20)
下堀沢から見上げる焼岳
階段やはしごなどを歩きやがて大小の岩だらけの道になり噴煙も見えてくる。頂上も間近になる。
焼岳南峰の火口
南峰は立ち入り禁止のため北峰に登頂。天気は快晴。360度の景観を楽しむ。
山頂にて記念写真
山頂湖
山頂より見る北の山々
昼食をとり下山する。中の湯温泉14:15に到着。
温泉に浸かり、さっぱりしてタクシーで松本駅に出て夕食を軽く摂り17:18分のあずさ30号に乗車、帰宅へ。
初秋の八海山
初秋の八海山
日程 9/10 鎌ヶ谷大仏5:45 上野7:06(新幹線) 六日町8:34 八海山ロープウエイ9:50
千本檜小屋13:00
9/11 千本檜小屋7:00 復路を戻る。
今頃の八海山は山頂から眺めると、「黄金色でパッチワークの風景だよ 」と、言われる。
初めての山なので心が動きました。それに11日が私のバースディを兼ねての山行きでした。
八海山神社は中世以来、越後有数の信仰の山として開け、10月には裸足で火の上を歩く火渡り大祭が行われる。
我々はじいちゃん、ばあちゃんの軟弱?グループ故、一気に4合目までロープウエイで運んでもらう。
ロープウエイの前の八海山大神から歩き出しました。
まだ、観光シーズンには早く登る人も少なく、ゆっくり、ゆっくり登る。
六合目の女人堂です。ここでカフェ「やすだ」の美味しいコーヒーでお昼にしました。
檜小屋に荷物を置いて、不動岳、地蔵岳まで行きました。その先の怖い八ツ峰は眺めただけでした。
後ろで見つめる余裕の熟女たち。
小屋の前で老いも、若きの人たちにも祝って頂きました。 今宵の宿、九合目の千本檜小屋です。泣けるほど嬉しく幸せの一時でした。
小屋の前にドーンと聳える越後駒ヶ岳。大きいね。 色づいたナナカマド
左の丸く下がった所まで行ったんだよね。怖かったね。
と、言いながら振り返っている、元気なばーちゃん達。
1本紅葉していました。
八ヶ岳集中登山(赤岳鉱泉編)
日程 8/28~8/29
8/28 14:30 赤岳鉱泉集合の集中登山多少の遅れのある班も
ありましたが無事全員が到着、夕食までの時間を入浴やビールを
飲みながらの談笑と皆思い思いの時間を過ごし、夕方揃っての
集合写真の撮影。
撮影が終わると間もなく夕食会が始まった。
みんな疲れた様子もなく、食事会の始まり料理はメインが
ステーキ等、豪勢なメニューで、ワイン付きでした。
会長のあいさつもそこそこに早くも酔いが回り皆、饒舌になり
和気あいあいの内に食事は終了。
楽しい時間でした。
その後は別室に集まり2次会、そこで各班の山行報告を
行いました。 山行談議に花が咲きました。
翌日の予定と朝食の時間を打ち合わせ、解散・・・9時消灯
翌日は各々が美濃戸まで歩き再度集合。
暫く待つと迎えのバスが到着
18:30 新鎌ヶ谷駅前に到着。 40周年記念の八ヶ岳集中登山
も無事終了しました。
八ヶ岳集中登山(11班)
八ヶ岳集中登山(11班)
日程 8/27-8/29(2泊3日)
コース 茅野ー美濃戸・・登山口・・行者小屋(泊)
行者小屋・・中岳のコル・・阿弥陀岳・・中岳のコル・・赤岳・・展望荘
・・地蔵尾根・・行者小屋・・赤岳鉱泉(泊)
(12組のパーティ35人が8/28の14:30までに各々のコースで赤岳鉱泉に集合する
企画です。)
8/27 朝、船橋よりあずさ3号に乗り茅野駅に到着すると予報通り雨でした。
茅野駅でメンバーと落合い、美濃戸行きのバスに乗り終点美濃戸で下車、雨支度を整え行者小屋に向け出発です。
行者小屋までは雨でも苦労もなくたどり着くと思っていたのですが、夏の雨は雨具の蒸し暑さとの闘いでした。Tさんなどは雨具を着ずに傘で歩いていましたが、風も無く、しとしとと降る雨には傘が正解でした。私などは行者小屋近くで雨具のフードを被ると、暑さと蒸れで頭が朦朧としてきました。最近、感じる事ですが私はどうも暑さには弱い体質のようです。それでも何とか行者小屋に到着、あとはお決まりの生ビールで一息つくと、明日の予定を6:30出発と決め早めの就寝となりました。
8/28朝起きると、天気は快晴,絶好の登山日和です。朝食の後、急ぎ出発します。途中,鹿の親子に遭遇したりしながら中岳のコルに到着。
中岳のコルから見上げる阿弥陀岳は急峻な岩場を越えたところに山頂がみえます。内心これは大変そうだなと少し憂鬱な気持ちになりましたが、気を取り直し登り始めると下から見上げた時より楽に登れた様に思います。
岩場が終わり山頂に出ると風景がぱっと開けて素晴らしい景観に出会いました。前日降った雨の影響か、雲海に浮かぶ山並みが迫力があり見たことのないような景観でした。
休憩の後、山頂の景観を惜しみながら赤岳に向けて出発、阿弥陀岳の下りは、かなり大変な下りで、浮石も多く落石を起こさない様にかなり神経も使う下山となりました。
20分程で中岳のコルに到着、赤岳を望むとジグザグのガレ場ののぼりが続きその先に急峻な岩場から山頂へと登っています。
ゆるりと中岳のコルを下山しガレ場を赤岳山頂に向けてジグザグに登る。
途中で他班のメンバー2組と出会う。赤岳鉱泉で再開を約して先を急ぐ。
赤岳山頂に到着。
すでにガスが出て視界は今一つですがとりあえず今回の予定の2座は終了です。
赤岳展望荘を下った所で転落事故があったようで岩場に血糊が大きく付いていました。我々も気を引き締めて急がずに確実に下山を続け行者小屋に到着!
預けておいた荷物を引き取り赤岳鉱泉に向かい無事到着。
取り敢えず風呂につかり生ビールを飲みながら他メンバーの到着をまちました。
事故もなく無事の到着に乾杯です。
燕岳登山
日 程
2016/8/6(夜)~8/8
8/6 22:45 竹橋~毎日アルペン号~5:30 中房温泉
8/7 6:00 中房温泉登山口・・合戦小屋・・燕山荘・・12:00 燕岳
8/8 燕山荘 4:30・・燕岳(日出)5:00・・燕山荘6:00・・合戦小屋
・・中房温泉登山口 9:30 ・・入浴
12:40 毎日アルペン号~18:00 新宿着
早朝、中房温泉でバスを降りると、すでに支度を終え登山口に向う人が目の前を
歩いて行きます。取り急ぎ登山届を提出して、同行のSさんと共に登山開始、
急登で有名な登山道をゆっくりと登っていくと間もなく第一ベンチ、第二ベンチと
高度をかせいで行き、第三ベンチで大休止、あまりの暑さに体もばて気味、
寝不足もあるのかな!それでも今日は、天気も良く夏の蒸し暑さとの戦いに
なりそうです。
第三ベンチと案内標識
第三ベンチから見る景観
休憩をとると体力が回復したのか足が軽くなったような気がしたのですが、
昨日から痛み出していた腰の痛みが一段と強くなり体調万全とは言いにくい状態です。おそらく前回の山行で濡れた木道で滑って打った尾骶骨の痛みが原因では等と
考えながら歩いていると、突然合戦小屋にでました。
すでにかなりの人が、休憩していました。
ここでは、やはりスイカを食べなければと愛想のよいお姉さんに、お願いして早速食べて見ました。良く冷えていて甘くておいしいスイカでした。
食べ終わって写真を忘れたことに気付きもう一つ頼もうと、思いましたが、
一切れ800円、帰りにもう一度食べようという事になり諦めて出発、
ここからの登りはさらに急になり高度も上がった事で、息切れも激しくなってきました. しばらく登り,間もなく山頂が見える頃ではと見上げてみると、そこには
槍ヶ岳がくっきりと、見えているではありませんか!早速カメラを取り出しパチリ!
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